今日こそはゆっくり話しましょう

ジャニーズのことを書かないジャニオタだよ。

ついうっかり生きている話。

正月に実家に帰省した。 今日はその時の体験を踏まえ、思ったことを書いていこうと思う。

親戚に家族が生まれた。まだ生まれたばかりなので、手がかかる。 母親の親も、祖母も、孫が可愛くて、手が空けば近くであやしていた。

夕方、母親が子供をお風呂に入れることになった。

同時に入ると、親が体を洗う時間、子供の世話ができないので、その時間は祖母に子供を見てもらい、親の準備ができたら子供を呼んで、一緒に入るというシステムである。─私も祖母の横で赤ん坊の名前を呼びながら、ニコニコとあやしていた。新生児は可愛い。─

祖母が「服、あっためておかないと。ほら、炬燵に入れておいて。」と言った。

私の頭の中で、衣類を大量に炬燵の中に入れると、火災を引き起こす恐れがあります。と注意喚起をしているCMが流れ、

本当に衣類を炬燵に入れる人がいる!!

と、その時は単純に驚きだった。少なくとも私の家ではその文化は引き継がれていない。

その場は、後ろでそれを聞いていた私の親が、「そういうのが火事になるんだよ。」と祖母に声をかけて終わった。

ここで一度確認させていただくが、この記事は、衣類を炬燵に入れることによる火災への危険性を訴えたものではない。 いや、確かに危険なので、もしこの記事を読まれた方がいれば、その点気をつけていただきたい。しかし、今日言いたいことはそのことではない。

さて、正月も過ぎ、もう1月下旬である。

私は風呂上がりに、炬燵で足を温めながら、ドライヤーで髪を乾かしていた。 するとこの祖母の発言をふと思い出したのである。

あの時は特に何も言われなかったが、もし、もっときつく、危ないぞ!と声をかけていれば、きっと祖母は、「そうかな〜……。」と、半信半疑な様子で言い返していたであろう。 考えられる危険性や事態を、あまり深く捉えていないのである。

流石に炬燵に衣類を入れたまま寝こけてしまうという体験があったかどうかはわからないが、祖母は昔、食べかけのスイカをテーブルの上に置き、窓を開け放した状態で寝こけたことがあり、私たちが帰宅した時にはスイカ一帯が蟻だらけになっていた。祖母はそういう人なのだ。

きっと、祖母の人生の中でこういったことは数え切れないくらいにある。ついうっかり、失敗をしてしまったこと。

そして祖母は今年で75歳である。─おそらく。定かではない。ごめんね、お婆ちゃん。─

75年間もの間、「ついうっかり」を繰り返してきて、今だ祖母は健在であるという事実。もしかしたらこの「ついうっかり」から、大きな事故に遭ったり、事件を巻き起こしてしまったりする可能性も大いにあった。

この「ついうっかり」の積み重ねは、ただの「ついうっかり」の積み重ねではない。奇跡的確率の、「ついうっかり」の積み重ねなのである。

そして、今健やかに生きている全ての人が、この奇跡的「ついうっかり」の積み重ねでできている。

それが望んだことであれ望んでいないことであれ、今私たちが生きていることがほんの一握りの奇跡であるということに、図らずも祖母の炬燵発言により気付かされることになったのである。

今まで何事もなく健やかに生きてこられた。それはごく当たり前のことではないんだなあ。そんなことを、暖かい炬燵の中で考えた。

人は、自分の意図しないところで、思わず、相手に何かを考えさせることがある。

もしかしたら、今日あなたの発したダジャレで、誰かが世界の真理に近付いたかもしれない。

おわり。