今日こそはゆっくり話しましょう

ジャニーズのことを書かないジャニオタだよ。

みんなー!私、生きてる!?

みんな、私のこと、見えてる!? 私は、みんなのこと、見えてないかもしれない……。

「水槽の脳」、わかりますか? よくSFとかで出てくるよね。水槽の中に人間の脳みそが入っていて、自分が生きているというデータを送られているやつ。 実際は脳だけなのに、さも日常生活を送っているかのように錯覚して、その脳は自分が生きていると思い込んでいるんだよ。

これを、日々疑っているのが、私です。

これを読んでる人、あなたは、自分が確かに生きてるって、どうやって証明する?

一つの考え方としては、「自分の存在を疑う自分」。これが存在している限り、自分は生きているんじゃないか、というのがあるよね。 デカルトかな?『我思う、故に我あり』という言葉、聞いたことある〜〜

簡単に言うと、世界のどんなことを疑っても、自分自身の存在を疑っても、「その存在を疑う自分」を疑うことは出来ず、つまり自意識は確かに存在している。という話……間違っていたらごめんすぎる。詳しくは調べてください。

でもでも、私が言いたいのはこの話じゃない! 世界、現実味感じられん問題 だよ!今回の議題ドドン。

"周りのクラスメイトの話す言葉はまるで作り物のようで、俺はたった一人、この教室に取り残された存在だった………。"

中学生の時に読むようなライトノベルに書いてありそうだよね。これ、わりとありませんか?

前提として、私はリアルで話す人が居なさすぎるから、データが少ない、というのもあるんですが(寂しい……)、目の前の人間、本当に生きているの?ていう感覚。この人が、私の脳内で作られた妄想である可能性。……ある。

「世界五分前仮説」は、この世界は全て、たった五分前に作られたもので、何億年前に地球が生まれて……とか、私の今までの人生……とかも、全部五分前に作られた"設定"かもしれないよ。ていう話なんだけど、じゃあ、この世が全て、設定じゃないって、どう言い切れる!?

私は、「私の視点」でしか世界を見たことが無いから、他の人間の考えてることも、他の視点からの世界の見え方も知らない。私の世界は全て、私だけで完結している。

私の脳は今、どこか別の次元で水槽の中に入っていて、今外に映る景色も、目の前で寝ている人も、これを読んでいるあなたも、全て私の妄想かもしれない。

きっとこれを読んだあなたは、私はいるんですけど!?自分でこのページを開いたし、お前の妄想じゃないんですけど!?て思うだろうけど、逆に、この文を書いている私が、あなたの妄想かもしれない。 この文は、本当はあなたが書いたのかもしれない。そしてその文を、脳内で "私という人間がブログに書いた文" という設定にしているのかもしれない。

でも、生活していると、私には絶対に思いつかないような出来事に出会うことがあります。 私なら絶対言わないような言葉を使う人と会話することがあります。

そういう時、私はいつも

「この人、生きているんだ……。」 と思います。 (失礼なので内緒だよ!)

私の中に無いものを持っているということは、私の外のものであるということ。私とは別の存在であるということ。

そういう瞬間に、私は、「もしかして世界、実際に回っているのでは?」と思います。

もしかしてもしかして、私が理科の時間に習ったことや、今目の前で起こってることって、全部現実なのでは!?

そんなこと、信じられる……??

「世界って、実は現実なんですよ……」てコソッと囁きかける宗教になっちゃった。 何が言いたいかって、世界って本当にあるのかな?でも、この人の言ってること、私の考えつかないことだし……多分生きてるわこいつ!ということ。

この世界の何割がNPCなのか、私みたいに生きている人間はいるのか、私って本当に存在しているのか……世界ってよくわからないね。

もしもみんなが、水槽の中の脳として生きていたとしたら、つまり私たちは同クラってこと?

世界、みんな友達じゃん! みんなで一緒にピクニックに行こうよ!って、脳だけだからできないじゃん!アハハハ!アハハ!アハハハ!!

終わり。