旅行記
こんにちは。
最近アカウントやら色々を整理したので、名乗りから詰まってしまうのですが、一応、沙姫です。
この世のどこかに相変わらず生存しています。
今日は、今まで出かけた場所での、旅行記を綴ろうかな~と思います。
旅行に行ったことのない人は、このブログを読んで、旅行気分に浸ってください。
行ったことのある人は、自分のブログで書け!!!
それではよろしくお願いします。
そもそもこのブログを更新するのも、いつぶり?という感じで、たまにはてブさんからメールが来て、存在を思い出す程度でした。
一時期はわりと小まめに更新をしていたので、最近続けざまに届くメールを読みながら、そろそろまた何か書きたいな~と思っていました。
そこで丁度最近、他人の旅行記を読む機会があり、その中で、
「行った旅行は記録を残さないと意味がない」
という旨の記述がされていて、なるほど確かにな......と感じました。
ここ暫く、日々ブログ用の話の種を探っていたので、あ、じゃあこれで良いかな。ぴったりだな。と思い、リハビリがてら、自分の旅行記を書くに思い至ったというわけです。
以前にも、他の記事ではかなり出先での出来事を記しているのですが、私はわりと遠出するのが好きです。
というのも、暫くアイドルにハマっていた時期があったので、その舞台、ライブなど、所謂 "遠征"のために出かけることが急激に増え、それに伴って、知らない地に赴いて、好きなことをするのって、楽しいな。という気付きを得ました。まぁ、一人だと何の失敗しても責められないしな………。
なので、まあ旅行と言ってもここ五年くらいの出来事に収束するのですが、他の記事で詳細を書いていない部分、思い出深い部分にスポットを当てて、自分勝手に自分の好きなところをポツポツとまとめていこうと思います。
①瀬戸内
さて、この項目を書こうとして、当時の写真や展示作品を見返したのですが、好きな作品が多いというか全部書きたすぎて、一つの記事の一項目として簡素にまとめるのは無理! となったので、後日、ここの部分だけ別で、回った作品を全て書こうかな……と思います。本末転倒ダ……。
なので今回は、作品以外で島の所感について、なるべく簡単にまとめます。
ここは私のブログなので、私が何をしてもいいのだ。私が神だ。
それでは進みましょう。
これは四年前くらいかな?に、七つ年上の従姉妹と、二人で瀬戸内国際芸術祭に出かけたやつです。
確か四日か五日くらいかけて島を回ったので、わりかしゆっくり堪能できたと思います。
瀬戸内国際芸術祭は、三年に一度、瀬戸内の島々全体で行われている芸術祭で、本当に島そのものが作品のようになっている、非常に楽しい取り組みです。
まあ、私も説明が上手くないので、詳しくは公式サイト(ART SETOUCHIとは | ART SETOUCHI)などを熟読してみてください。そして是非足を運んでみてください……。多分次の開催は、2022年? なので、まだまだ予習の時間も、宿の予約にも余裕たっぷりです。私も行きてえ!
この時私たちが回ったのは、「直島」「豊島」「男木島」「女木島」「犬島」「小豆島」の六つの島です。
ちなみに島間の移動は、だいたい船になります。ホテル?みたいなデッケ〜船から、甲板でダンスしたらそのまま海に落ちて、アチャ〜!浮き輪持ってくれば良かった!となりそうな小さめの船まで、色々乗ることができました。
■ちっちぇえ船で行った、ちっちぇえ島の、めちゃめちゃ綺麗な夕日。
小さな島の中では、徒歩や、自転車(レンタル)での移動がほとんどになります。夏に行ったのですが、山の中チャリを漕いで、よくわからん美術館に辿り着くのは、マジで楽しいし、なかなかできない体験です。あと海鮮が美味え〜。
島の中を歩いていると、突然、「元からここに居ましたが?」みたいな顔で作品に出会うことができるのも、この瀬戸内芸術祭ならではだなと思います。
■何の警備や囲い、看板等も無く、海岸に突然現れる「足」。
■自立。
島々を回っていて感じたことなのですが、島の中には、もちろん観光客が多く、人も沢山います。しかしそれ以上に、島の雰囲気というか、落ち着いた生活の匂いがあるということです。
私は田舎でずっと育ったので、何だかおばあちゃんちを思い出して、懐かしい気持ちになりました。
もしかしたら私、ここで生まれ育ったのかも?
そんな気がしてきました。多分そうなのでしょう。
私は2019年の芸術祭に行けなかったので、次回は絶対行きた〜い!と思います。
②北海道
北海道には、ここ二年連続で行っています。どちらも好きなグループのライブのためです。
昨年は何だかんだ時間が無く、観光をあまりできなかったのですが、一昨年には三日かけて行ったので(二日間の予定だったが、帰りの飛行機が取れなかった)、美術館も回れました。
思ったこととしては、北海道って、デケーーー!!!ということ。だって、道内の移動だけで、一日のスケジュールが組める!網走に行きたいな〜☺️ などとほのかに思っていたのですが、無理無理の無理でした。(札幌から網走へは、高速バスを使うと六時間半かかります。国?)
これに関しては、リベンジで今年行く予定です。ちなみに既に今年分の旅行チケットを買っているので、口座残金がゼロになりました。
一昨年は、モエレ沼公園に行って、自然を堪能しました。私、自然を歩くのが好きなのか?
犬も散歩してたし、やっぱり広大な山と草って落ち着くんですよね。
もしかしたら私、ここで生まれ育ったのかも?
そんな気がしてきました。多分そうなのでしょう。
■噴水にはしゃぐ犬と子供たち。
それからこの時は丁度、北海道立近代美術館で、葛飾北斎の展示が行われていたので、こちらにも足を運びました。
富士山がいっぱいあって、楽し〜。
作品の中に動物を見つけるのが趣味なので、私はひたすら、描かれた犬や鳥を見つけては、同行していた親に報告するという所業を楽しみました。満足だ。
③富山
これも一年半くらい前に、舞台遠征のために、急遽一人で乗り込んだやつです。たのもー。
ここまで書いてて思ったのですが、行ってるの全部夏だ!やはり夏は遠出するに限りますね。冬は寒いので……。
さてこの日は、新幹線で日帰りの、マジの突発旅行だったので、特に何も考えずに、現地で調べてフラフラ富山県美術館まで行きました。
富山県美術館は、屋上にオノマトペのオブジェがあり、それぞれ語感のイメージに沿った形をしています。中には、「ぷりぷり」と称した沢山のうんち・スペースがあり、私ははしゃいで写真を撮ってしまいました。そろそろ小学校に上がる年だというのに、恥ずかしいですね。
■座ることで"完成"が想定されている?
さらに、たまによく見る目つきの悪いクマ(三沢厚彦さんの独特な作品)に見下ろされ、富山の洗礼を受けることもできました。
■見覚えのある方も多いのでは。
さて、旅行記と言うには物足りないですが、ここまで三つの遠征記録を紹介しました。
ひとまずリハビリとしては良いボリュームなのでは?という質感になってきたので、今回はここで締めさせていただくことにします。
また機会と気力が回復したら、別記事でもっと詳しく旅行記を記したいな。
この記事を書くにあたって、今まで撮ってきた沢山の写真を見返したのですが、わりかし沢山出かけてるんですね。本当はもっと書くべきである、金沢や、シンガポール、横浜などなどの地にも赴いているのですが、思い返した時に、この三つが出てくるのは、自由に好きなところを歩き回れたからかな〜と思います。あと書くのがめんどい。
細部まで予定を組んで、一日のスケジュールを詰めてその通りに行動していく旅行も楽しいのですが、その場で気になったところに、楽しそう!と思い付きで行ってみたり、知らない土地でブラブラと歩いたりする時間が、一番充実しているような気がします。
すみません嘘です。計画性の無い行き当たりばったりな人間であるだけです。反省。
しかし、まあゆっくりのんびり、何も考えずにする旅行も、楽しいよ〜というススメです。
私も、今年もまだまだ出かける予定があり、先ほども少し書きましたが、夏には三年連続となる北海道旅行を計画しています。
また、舞台やイベント、やりたい事もあり、現在必死に裏バイトを探しているところです。
たまに旅行に出かけると、日常では出会えない体験や、気付き、開放感が味わえて、好きだな〜〜と思います。
日常に疲れたら、息抜きをするのも大事なのではないでしょうか。皆さんも、忙しい日々や、己へのご褒美に、たまには少し遠い場所へ旅行をしてみては?
P.S
時給の良い裏バイトがありましたら、是非こちらまでお願いいたします。→今日こそはゆっくり話しましょう
普通のブログ
おはこんばんちはー。
沙姫だよ。昨日誕生日だったから祝って〜!
今日は〜、普通に日記でも書こうかな〜と思ったので、ヤマオチ無しの文だよ〜。意に留めておいてね〜。
最初はドラえもんを見ようかな〜と思ってたんだけど(それについて触れている過去の記事があります。-「私と君と、辻村深月。 - 今日こそはゆっくり話しましょう 」)、
応援上映ある!てことで、急遽こっちにしたよ。友達と二人で入った〜。
まず応援上映について説明すると、サイリウムとかうちわとかが持ち込みOKで、声出し、ツッコミ、基本自由に楽しく見ていいよ〜っていうやつです。
私は紫のサイリウム持ち込んで薬研藤四郎を見つめた。彼が私の夫なんですけど……………。
私は今回急遽たまたま、初めての応援上映に入ることになったから、他の映画がどんな感じなのかはわからないんだけど、映画 刀剣乱舞は、本編開始前に、鈴木拡樹(美・お兄さん)が声出し用のコール&レスポンスをしてくれたよ〜〜!愛
後からツイッターを見ると、人数が少なめだったこともあって、私が入ったところは結構静かめな回だったらしいんだけど、それでも十分楽しめた……。
私の想像してる応援上映って、基本「頑張れー!」とか、「ワー!パチパチ(拍手)」て感じだったんだけど、実際は思ってたよりずっと大喜利空間で、私はひたすら吹き出すのを我慢してた……!審神者*1のみんな、面白すぎでは〜?
開始後数分は、まだみんな温まってないのか(??)声出しも少なかったんだけど、だんだんみんなでワイワイ言うようになって、全員で声を合わせる場面もあって、楽しかったな〜〜!!笑
好きなところを挙げるとね〜(※映画 刀剣乱舞のネタバレ含 含 含!!だから注意してね!)
ゲーム内に無いシステムとか演出とかのシーンでは、「ハイテクだねー!」「実装いつですかー?」て声が上がったり、キャラクター間で不穏な空気が流れると、「怒らないでー!」「落ち着いてー!」て客席が宥めたりするし、
誰かが鶯丸に対して「大包平いなくて大丈夫ー?」て言ったら、後ろの客が「あんまり大丈夫じゃなさそうー!」て返したり*2、客席内で声出しによるコミュニケーションが行われてて、笑っちゃった。
あと三日月が回復薬を飲むシーンがあるんだけど(ここでも「実装してー!」の声が上がっててそれ〜 となった)、誰かが「三日月の!ちょっと良いとこ見てみたい!」て言ったら、他の誰かが続いて「イッキ!イッキ!」て言うから、客席みんなで「「イッキ!イッキ!イッキ!」」コールが始まったり、長谷部が日本号に対して「へし切って呼ぶな!」て言った瞬間客席みんなで「「へし切ーー!」」て呼んだりするシーンがあって、みんなで何か言うの、楽しすぎ…………と思った!!
私も普段現場で声出してるオタクだから、気軽に色々声出してきたよ〜〜!!慣れててよかったジャニーズ文化〜
あと個人的に、セット内の狐の石像に対して、「こんのすけ痩せたー?」「縦に伸びたね」てコールがあったの、めちゃくちゃツボに入ってしまった。ここに書いてないこういう大喜利もめちゃくちゃあったから、ひたすら笑ってた。「検非違使は経験値落として帰れー!」
それで上映終了後は、みんなで拍手、「お疲れ様でしたー!」て言って終わった!!一体感が最高だった……。
みんな帰る準備をしながら、それに続いて「大阪城(今開催中のイベント)頑張りましょう!」て言ったり、「白山くん出ないー!」「私もー!(複数声が上がる)」「むしろ出た人いるんですか?」「出たよー(複数)」「え!?(どよめき)おめでとうございます!!」みたいな、横の人同士の会話を飛び越えた、会場内に響く会話が繰り広げられてて、あー、ここにいる人みんな、同じゲームのプレイヤーで、同じものを好きな人たちなんだな〜〜。と思って、良かった。
あと30回は応援上映入りたくなったな〜〜!!!超良かった
私の人生のジャンルで「あんさんぶるスターズ!」ていうゲームがあるんですけど、死ぬまでに絶対にあんスタでコールをしたいから、ライビュか映画、頼む。と思ったね。待ってるよ。「葵ゆうたが世界一 〜〜!!!!!!」
あとはモブサイスイパラコラボに行ったら、謎の霊幻運が宿って、なぜか霊幻師匠回収マシーンになったりしたんだけど、それはまた別の話です。
すごく久しぶりにオタクをしたら、めちゃめちゃ楽しかった。ていう日記でした。みんなの楽しいことは何? 宛先はこちらまで→今日こそはゆっくり話しましょう
おわり。
みんなー!私、生きてる!?
みんな、私のこと、見えてる!? 私は、みんなのこと、見えてないかもしれない……。
「水槽の脳」、わかりますか? よくSFとかで出てくるよね。水槽の中に人間の脳みそが入っていて、自分が生きているというデータを送られているやつ。 実際は脳だけなのに、さも日常生活を送っているかのように錯覚して、その脳は自分が生きていると思い込んでいるんだよ。
これを、日々疑っているのが、私です。
これを読んでる人、あなたは、自分が確かに生きてるって、どうやって証明する?
一つの考え方としては、「自分の存在を疑う自分」。これが存在している限り、自分は生きているんじゃないか、というのがあるよね。 デカルトかな?『我思う、故に我あり』という言葉、聞いたことある〜〜
簡単に言うと、世界のどんなことを疑っても、自分自身の存在を疑っても、「その存在を疑う自分」を疑うことは出来ず、つまり自意識は確かに存在している。という話……間違っていたらごめんすぎる。詳しくは調べてください。
でもでも、私が言いたいのはこの話じゃない! 世界、現実味感じられん問題 だよ!今回の議題ドドン。
"周りのクラスメイトの話す言葉はまるで作り物のようで、俺はたった一人、この教室に取り残された存在だった………。"
中学生の時に読むようなライトノベルに書いてありそうだよね。これ、わりとありませんか?
前提として、私はリアルで話す人が居なさすぎるから、データが少ない、というのもあるんですが(寂しい……)、目の前の人間、本当に生きているの?ていう感覚。この人が、私の脳内で作られた妄想である可能性。……ある。
「世界五分前仮説」は、この世界は全て、たった五分前に作られたもので、何億年前に地球が生まれて……とか、私の今までの人生……とかも、全部五分前に作られた"設定"かもしれないよ。ていう話なんだけど、じゃあ、この世が全て、設定じゃないって、どう言い切れる!?
私は、「私の視点」でしか世界を見たことが無いから、他の人間の考えてることも、他の視点からの世界の見え方も知らない。私の世界は全て、私だけで完結している。
私の脳は今、どこか別の次元で水槽の中に入っていて、今外に映る景色も、目の前で寝ている人も、これを読んでいるあなたも、全て私の妄想かもしれない。
きっとこれを読んだあなたは、私はいるんですけど!?自分でこのページを開いたし、お前の妄想じゃないんですけど!?て思うだろうけど、逆に、この文を書いている私が、あなたの妄想かもしれない。 この文は、本当はあなたが書いたのかもしれない。そしてその文を、脳内で "私という人間がブログに書いた文" という設定にしているのかもしれない。
でも、生活していると、私には絶対に思いつかないような出来事に出会うことがあります。 私なら絶対言わないような言葉を使う人と会話することがあります。
そういう時、私はいつも
「この人、生きているんだ……。」 と思います。 (失礼なので内緒だよ!)
私の中に無いものを持っているということは、私の外のものであるということ。私とは別の存在であるということ。
そういう瞬間に、私は、「もしかして世界、実際に回っているのでは?」と思います。
もしかしてもしかして、私が理科の時間に習ったことや、今目の前で起こってることって、全部現実なのでは!?
そんなこと、信じられる……??
「世界って、実は現実なんですよ……」てコソッと囁きかける宗教になっちゃった。 何が言いたいかって、世界って本当にあるのかな?でも、この人の言ってること、私の考えつかないことだし……多分生きてるわこいつ!ということ。
この世界の何割がNPCなのか、私みたいに生きている人間はいるのか、私って本当に存在しているのか……世界ってよくわからないね。
もしもみんなが、水槽の中の脳として生きていたとしたら、つまり私たちは同クラってこと?
世界、みんな友達じゃん! みんなで一緒にピクニックに行こうよ!って、脳だけだからできないじゃん!アハハハ!アハハ!アハハハ!!
終わり。
自己肯定感。
みんな、褒め日記って知ってる?
あるいは、少し違う呼び方をする場合もあると思う。 とにかく、自分のことを褒めて、それを日記にしたり、紙に書いてまとめたりして形にして、残していこうよっていうものだよ。
私はそれが苦手。
だって、私は生きているだけで偉いから。
どれだけ自分のことが好きなのか?自分至上主義なのか?て、見えるかもしれない……でもこれはそういう、自分大好き話では無いんじゃないかなあと思う。 (それはそれとして私は私のことが大好きなんだけど、今回は別の話になってしまうので割愛するね。)
実は私は学生の時、授業でこれをやらされていました。 実際授業評価にも関係していただろうから、サボると後々大変だし、その場しのぎで適当に褒めるようなことを書けば良かったんだと思うんだけど、私は毎回これが苦痛だった。
本来、褒め日記って、普段から自分を褒めて、自己肯定感を上げていきましょうね、ていう考えだった気がする。確か……。
でも私は逆効果だった。この時すでに、私は生きてるだけで偉いし、今学校にいるのも、起きて座ってるのも、呼吸してるのも全部偉くて、たとえ何もしてなくても、私は私であるから偉い。と思って生きてた。んですよ。
その、"何もしていなくても偉い"状態から、わざわざ"一般的に褒められるような行い"を書き出す行為って、私からすれば、"この行為をしなければ、私は偉くない、褒められるべきではない、そういった行いをしなければ人間ではない"と突き付けられるようなものでした。
説明するのが難しいんだけど……。私は常に私を褒めているし、歩いているのも偉いし、ご飯を食べたのもすごいし、常に私は最高な人間なのさ。私の中ではね。 でも、例えばそれを、授業課題に、「息をしたので偉い」とか、「文字書いてる。偉い。」とか書いたところで、ふざけているって思われるでしょう。私も思う。みんなも、あくまで最低限の社会的モラル(これはモラルなのか?)は守ったほうが楽だと思うので、流石に多少雰囲気を読むことは大事だよ……。
逸れた。 で、周りの人間は、課題をしたとか、何かを手伝ったとか、もっと大きなことをしたとか、そういう"ちゃんとした""褒められるべき行為"を、当たり前だけど書いているわけよ。
すると、比べちゃうんだよね。
この"褒められるべき行為"と比べたら、私が生きてるのも、何か考えてるのも当たり前のことで、偉くなんてなくて、みんなしていることで、逆に私はそれ以外していないから、褒められることなんて何もしてなくて、褒められるべき人間でもなくて、じゃあ、クズじゃん………。
と、自己肯定感が奈落の底に落ちていきます。
これを毎時間していたら、気が狂ってしまう。ので、私は適当に適当なことを書いて提出していた。毎回。アホ正直だな………。
今日も生きた。偉い。 とか、 とか……これしか書いてない気がするな……。(ヤバ中二病生徒じゃん………。)
この褒め日記は毎回、提出後に先生が一言添えてくれて、返却される仕組みだったんだけど、私は一回だけ、私なりに褒められることをちゃんと書いて提出したことがある。
その頃も、Twitter人生 ネ友学科 引きこもり部だったから、「Twitterのリプをちゃんと返した」「ゲームのノルマ達成した」みたいな内容しか無くて、でもちゃんと考えて提出したんだけど、コメントはもちろん、「よくわからない💦」だった。
これは、生徒の気持ちに寄り添ってちゃんと褒めろ!とか、古臭い考えが!みたいな話では決してなくて、私自身これを冗談半分で提出したし、実際こういうのは普通に痛いからやめた方がいいよ……。て思う。推奨はしてねえ!
で、これを見てどう思ったかっていうと、さっきも言ったけど、「まあ、だろうな〜」だった。
ここで、今書いている褒め日記は、あくまで「授業提出用の課題」であって、「先生から一言貰うための材料」であって、本当に私が偉いって思ったことは、別にいちいち書き出す必要はないってことに気付いた。
私は常に、私の中でちゃんと私を褒めていたから。
私の中で私が偉ければ、褒められて、正当な評価を受けられていれば、それがどんな小さな行為でも、ちゃんと存在理由にはなるんだよ〜。
私が偉いって思ったなら偉いし、人間は、何かをしなければ褒められちゃいけないなんてことないし、生きてるだけで本当にすごいんだよ。
貴方がいるだけで、それは素晴らしいことなのよ。なんて臭いセリフは大嫌いなんですが、私がいることで、私は嬉しくなっちゃうので、それは私の中で幸せが循環していて、私が幸せならそれでいいんです。
ちなみにこの前部屋を整理していたら、当時の褒め日記が出てきて、あまりに内容がクソだったので全部捨てた。
いつまで経っても、私は私が大好きなんだなあ。みんなも、何もしていない自分のこと、たまには大好きって言ってあげてよ。
結局自分好き論に落ち着いちゃった。 でも、他ならない自分が、自分のことを好きでいてくれたら、それは最強じゃん。 ね。
おわり。
細々と死んでいく。
こんにちは。戸田です。
今日はクリスマスなんだけどね〜、昨日久しぶりにクリスマスらしく出かけて、ケーキを食べて、イベントごとに参加してきました。
クリスマス、本当に周りがカップルらしき男女の群れでしたね。 駅に向かう連絡通路、気付くと腕を組んだ男女ばかりで、この中にカップルはいくらいるのかしら?と思いました。
クリスマス、カップルといえば、それを妬む非リア、という図もよく目にしますよね。 なんか、私も焦るのかしら……と思ったんだけど、びっくりするほど何も感じなかったな……。 というか、クリスマスにカップルが街に溢れるのは、都市伝説じゃなくて事実なんだ……という感動が大きくて、そこに自分を投影することが無かったですね。
昔は、小学生くらいまでは、誕生日も記念日も、イベントごとも周りが盛り上がることもそれこそ恋愛ごとも、人並みに楽しみにしたり受け入れたりしていたような気がするな。
年が上がるにつれて、どうやら自分は人付き合いがそこまで得意ではないらしいぞ。ということがわかってきて、人間関係も、どんどん狭まって、今ではごく一部のリア友と、付き合いの長いネ友のみで構成された世界の中で生きています。
今年は本当に外に出た。 遠征したし、フォロワーにも会ったし、そのためにオシャレしたり痩せたりしたな……。 先日、久しぶりに合った知り合いに、綺麗になったね、彼氏できた?と言われたのですが、ほとんどそんな感じなので、厳密には彼氏ではないけど、だいたい正解ではないか?と思いました。
実在の世界に誰か好きな人や会いたい人がいて、その人と同じ土俵に立つ上で、自分をなるべく高める行為って、有意義ですよね〜。三次元はすごいなあ。
私は元々二次元コンテンツが好きな人間ですが、これは例えば今年追いかけたアイドルだけを指しているんじゃなくて、本当に三次元 そのもの 偉大 という話です。
今下書きに、人間が生きているのかどうか みたいな記事を少しずつ書いているのですが、それとも関係しています。 というか私の根底にある価値観というか、物の感じ方ですね。人って生きているんだ……っていう……。 これは書き上げ次第、後日アップしたいと思います。
さてそれで、話を元に戻すのですが、私は年々、結婚だったり、子供だったりを敬遠しています。 私は人に影響を受けやすいので、ネットリアル問わず人間関係が鋭くなっていって、私と合う人、極端な人しか周りにいなくなった結果、そこから考え方が流れてきているのもあると思います。 私の本垢のフォロワー、だいたい変な人でしょう。いわゆる"ノーマル""普通"以外の人が多いので、そもそも世間一般の"普通"って何だ?となってきますよね。なりました。
昔は、自分に子供ができたらどんな話をしよう、とよく考えました。今打っててキモいな……。 だんだん、子供ってめんどくさいな……そもそも人間から人間が生まれてくるのって気持ち悪いな……自分以外の人間に一切責任を持ちたくないな………と思うようになり(最悪思考)、最近は、小さい人間、嫌すぎるな。と思っています。あと自分以外の人間と過ごしたくないので、同居、結婚も嫌だな……。と思っています。 だから、当たり前のように 結婚したいですよね?子供は何人欲しいですか?と訊かれると、この人は自分以外に責任が持てる人なんだな……凄いな。尊敬するぜ。こういう人が少子化社会を救ってくれるのかな……と眩しく見えます。
ちょっと話がずれたか?
こういう感じなので、私はこの先何年、友人や周りの人々との関わりのみを持ち、細々と死んでいくのだろうな……と思います。
あと周りの人、若いうちに死のうと思ってる人ばかりなので、別垢のフォロワーが、自身が年老いた時のことを話していて、老後まで生きるという考え方があるんだ……と驚きました。 とはいえ私は、特に鬱がひどいわけでもなくて、無気力無責任人間なので、死ぬ勇気も無し、おそらく普通に中年まで生き続けると思うんだけど……。 私が中年になった時、今の友人全員死んでたらどうしよう……それこそ細々すぎますね。なんとか生きます。
とりあえず今日も、細まる道をゆっくり歩いたり歩かなかったりしています。
おわり。
生活がすっからかんな人間。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。戸田です。
ジャニーズのことを書かないつもりで始めたこのブログでしたが、最近、ジャニーズのことばかり書いているな……と思いました。
このブログは、『ついうっかり生きている話。』から始まっていますが、こういう話がしたいんですよ。私は。なのに!
私の生活、すっからかんでは?(今回のテーマ)
昨日、久しぶりに私と生活の話でもするか〜と思って色々思い巡らしたのですが、私の生活に物が無さすぎて、書くものがありません。
そもそも、ついうっかり生きているやつも、書こうと思って考えたんじゃなくて、考えてから 書くか〜 と思って書き連ねたので、出そうと思っても出ないんですよね、生活って………。
そうでなくても、私の最近の生活は、話題性皆無の、ナヨナヨ人生です。道端にあったら、噛み捨てられたガムかと見間違って、踏んで嫌〜な気持ちになります。 そしてこれはもしかしなくても、最近の生活のことではなくて、今までの生活のことでは? 悲しくなるので真偽は置いておきます。
ここ半月の私は、忍たま乱太郎を見て、怪盗ジョーカーを見て、忍たま乱太郎を見て、怪盗ジョーカーを見て、パワーパフガールズを見て、怪盗ジョーカーを見て、週一でルパパトとゴールデンカムイを見る の繰り返しで生活しています。
ここに話題性はあるか?
以前は積極的に映画も観ていたのですが、もうめっきり、子供向けアニメしか受け付けない体になってしまい、三十分以上難しい話に没頭できなくなりました。 子どもになって野原を駆け回りたいな。
あと、そうそう、携帯をいじる時間が多いんですよね。この前、一日の使用時間が十六時間を超えていた時には、二十四分の十六、つまり一日の三分の二の時間を虚無に換算したことになり、自身の存在を見失いかけました。 お前の三分の二は虚無で出来ているのか? これに睡眠を足したら、それで私の一日が出来上がってしまいます。インターネットクッキングだ。 というか、睡眠を削って三分の二のほうに費やしているから、日々の生活がおろそかになり、生活も何も無くなっているのですが………。
ということを考え続け、とりあえず一番時間を費やしているもの、Twitterをログアウトしました。私はアカウントを六つ持っているのですが、三つだけ残して(しかもそのうちの一つは、FF0の普段使っていないアカウントなので、実質二つ)、他のアカウントを消しました。 多分そのうち戻る もしくは定期的にアカウントを復活させ、普段は消去する ことになるとは思うのですが……。
当たり前なんですけど、Twitterの無い人生、というか制限された人生、快適っすね……。 まあ他のアカウントが無くなった分、残してあるアカウントの浮上率がバリバリ高くなっているのですが、ん?これは効果はあるのか?
時間を見てみると、あんまり変わらなかったので、使用時間が極端に減る ということは無さそうですね……。でも、精神衛生上とても良いので、じゃあ復活させよう とはならないかと思います。でも多分そのうち戻ります。
どうしたら生活が潤うと思いますか? 紳士淑女の皆さん……あなたの生活は潤っていますか?私はカラカラです。 紳士淑女……カラカラ……ん?これは?
12月5日発売、Sexy Zoneニューシングル、『カラクリだらけのテンダネス / すっぴんKISS』!? 主題歌にもなっている中島健人主演ドラマ『ドロ刑』は、毎週土曜絶賛放送中!?来週最終回!? 見なきゃ!!!!!!!!!!!
ポチッ。
終わり。
スバル座に味園ユニバースを観に行った。
復活上映があって、有楽町スバル座に、2015年制作の渋谷すばる主演映画、味園ユニバースを観に行った。 何だかんだ、観るのは五、六回目くらいだと思う。 ストーリーは覚えている。劇場で観るのは初めてだった。 これは観るたびに何回も思うんだけど、歌っている茂雄は、渋谷すばるでもある。 完全に演技で塗り固められた訳ではなくて、それは演じている渋谷すばるの歌唱力による説得力もそうなんだけど、作られた想像上の人間 でもそれだけではない ような気が するようなしないような。 最後に歌っているシーン、すばるくんの歌い方なんだよなぁ。この人は渋谷すばるなんだよなぁ。でも、大森茂雄なんだよなぁ。 不思議だ。
劇中一度も笑わないポチ男が、茂雄が、一番最後のシーンで笑顔で歌っている。 もうそれが茂雄の答えだと思うんだよね。自分で選んだんだよ。 誰からも必要とされてなくて、死んだとまで言われて、行き場が無い茂雄を必要としたのは、カスミと、おじいと、赤犬と、マキちゃんと、茂雄の世界はもう一本指じゃないね。
渋谷すばるって名前、綺麗だなあ。 スバル、スバル座で今回味園を観られて、なかなか無い貴重な体験だったな。
すばるくんは今何をして、何を考えているのか、私は全くわからない。それは、常に自分をさらけ出すアイドルを辞めたから、当たり前で、今のすばるくんは、ただの一人の人間なのかな。 こんなに素敵で力強い人間が世界にいるなんて、すごいよ。 すばるくんが生きて、歌っている世界だったら、それだけで輝いているなあ。
また機会があったら、劇場に足を運んでこの映画を観たい。機会があるといいな。 そう思いました。おわり。